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関東大震災からわずか8ヶ月後、遠山椿吉は衛生上の帝都復興策と題して、瓦礫が残る東京の衛生面から見た復興計画を提案しています。
「…都市計畫も、罹災前には一部の改造に忍ばねばならぬ苦心もあつたが、今度は白紙に向て筆を下だす様なもので、此點に就ては、寧ろ帝都百年の爲めには好機會を得たとも見られる。衛生上の設備も茲に存分の計畫を立てゝ、只だ復興復興と云ふのでなく、改造改革の積りで、文化智識の最善を畫して、世界各國に比し耻しからぬ優秀な都市を建設されたい」と、建築物ばかりでなく、衣食住の全般にわたって提案をしています。

また水道については、「此度の震災で大小幹枝の破損位に止まり、僅度の短時の不便に止まりしは實に僥倖であつた。若し唯一無二の水源に大故障ありたらんには如何、思ふだに慄然たらざるを得ない。將来之が豫防には是非とも二若くは三の水源を準備する必要がある。而して水源の一として鑿井を採用するは更に有利の方法である巴里市や、維納(ウイーン)市には常に二系統の水道あり、一は飲料とし、一は撒水消火の用水に備ふるものである、採て以て範とするに足る」と、当時、水源が多摩川だけであったことに対し、複数の水源を確保すべきであると警鐘を鳴らしています。


1924(大正13)年「東京顕微鏡学会雑誌」 第31巻第1号*


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