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東京顕微鏡院の誕生

1891(明治24)年3月28日発行「東京医事新誌」第678号に、東京顕微鏡院の前身、顕微鏡検査所の創設が記事および広告として掲載され、記事には「斯かる高尚にして且つ有益なる事業の我が学問界に行はれたるは蓋し此顕微鏡検査所を以て先登第一とす可し」と記述されています。

東京顕微鏡院は、1891(明治24)年4月1日京橋区新肴町(現:中央区銀座3丁目付近)で、遠山椿吉が佐藤保、川上元治郎とともに顕微鏡検査所を立ち上げたのが始まりです。当時、結核は欧州で「白いペスト」と呼ばれ、わが国でも「国民病」「死病」と恐れられていました。
遠山椿吉は、「結核の早期に確実な診断を行うには喀痰の顕微鏡検査を必要とするのに、顕微鏡検査法が普及していない。社会のために、市中の開業医の依頼に応じる顕微鏡検査所を開設し、診断と治療を補佐しよう」と考え、6畳ほどの一室に一台の顕微鏡を置き創業しました。当時33歳の遠山椿吉の創業に、10名の方々が賛助員としてその活動を支えました。当時は顕微鏡を扱える技術を持つ者も少なかったことから、創業の翌年、1892(明治25)年にはその技術を教育する講習科を設け、東京顕微鏡院と改称し、今日に至っています。

《顕微鏡検査所賛助員》(五十音順)
石黒忠悳(1845-1941):明治・大正時代の医師、軍人。1890(明治23)年、陸軍軍医総監、
             陸軍省医務局長。
井上達也(1848-1895):明治時代の眼科学者。1889(明治22)年日本初の眼科専門誌「井上
             眼科学研究会報告」を創刊。
江口 襄:医師、軍人。1898(明治31)年当時、陸軍第四師団軍医部長。
緒方正規(1853-1919):明治・大正時代の細菌学者、衛生学者。1886(明治19)年3月帝大医科
             大教授。1888(明治21)年、医学博士の学位を受け衛生学講座担任と
             なる。
実吉安純(1848-1932):明治時代の医師、軍人。1891(明治24)年医学博士の学位を受け、
             1892(明治25)年、海軍軍医総監。
高木兼寛(1849-1920):明治・大正時代の医学者。1881(明治14)年、成医会講習所(東京
             慈恵会医科大)を設立。1885(明治18)年、海軍軍医総監。
中浜東一郎(1857-1937):明治~昭和時代前期の医師。中浜万次郎長男。
              1890(明治23)年、内務省東京衛生試験所長。
長与専斎(1838-1902):幕末、明治時代の医師。東京医学校(東大)校長、1875(明治8)年
             内務省衛生局初代局長に就任。1890(明治23)年貴族院議員(勅選)。
             長年にわたり日本の衛生行政の基礎を築いた。
長谷川泰(1842-1912):明治時代の医学者、政治家。長崎医学校(長崎大)校長、内務省の
             衛生局長等を歴任。明治9(1876)年医学校済生学舎を創設。
             1890(明治23)年衆議院議員。
古川 栄(1860-没年未詳):医師。1888(明治21)年医科大学卒業。
《顕微鏡検査所創立者》
川上元治郎(1864-1915):明治・大正時代の医師、政治家。1892(明治25)年『日本医事
              週報』を創刊。1902(明治35)年、衆議院議員。
佐藤 保(1854-没年未詳):医師。1886(明治19)年医術開業試験に合格。

「顕微鏡検査所」
 1891(明治24)年3月「東京医事新誌678号」*


ファイルイメージ

顕微鏡検査所(2.5MB)



「顕微鏡検査所設置広告」
 1891(明治24)年3月「東京医事新誌678号」*


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顕微鏡検査所設置広告(2.2MB)

*国立国会図書館所蔵


東京医事新誌:
1877(明治10)年2月に創刊された、わが国の医学雑誌の草分け的存在。
当時の医学界の動向や論文等を掲載し、森林太郎(森鴎外)も一時期主筆を務めた。
1960(昭和35)年12月20日発行第77巻第12号をもって終刊。