遠山椿吉記念館
遠山椿吉記念館は、明治の細菌学者 遠山椿吉を通して、近代日本の医学・衛生学の歴史の一片をご紹介するサイトです
年譜・業績

年譜

遠山椿吉に関する年譜をご紹介します。

1857(安政 4)年
10月1日、遠山椿吉、山形県東村山郡山野辺村に生まれる。
1877(明治10)年
遠山椿吉、東京大学医学部において1882(明治15)年5月まで、別課医学を修める〈1883(明治16)年1月卒業証書授与〉。
1883(明治16)年
遠山椿吉、山形県立病院済生館医兼医学寮長を命ぜられる。
1884(明治17)年
遠山椿吉、山形県医学校三等教諭兼幹事に任ぜられる。
1887(明治20)年
遠山椿吉、山形県より、医学校長心得を命ぜられる。
1888(明治21)年
7月、遠山椿吉、東京医科大学撰科に入学し、衛生学および黴菌学を研究〈1889(明治22)年10月撰科証書授与〉。
1889(明治22)年
遠山椿吉、東京医学院講師を嘱託され、物理学、生理学を教授〈~1891(明治24)年〉。
1890(明治23)年
1月、遠山椿吉、帝国医科大学国家医学科に入学し、4月に卒業証書を授与される。
1891(明治24)年
4月1日遠山椿吉、佐藤保、川上元治郎が協同して、京橋区新肴町にあった成医会の一室を借り、「東京顕微鏡検査所」を創立。『結核黴菌簡便検査法』出版。病原的黴菌標本の頒布を開始し、本所考案の喀痰沈殿器を製造販売。
1892(明治25)年
第1回講習科を開講〈4月〉。顕微鏡学を実地に応用すべく、理論だけでなく、実習に重きを置いた実践的な教育を行った。
名称を「東京顕微鏡院」に改称〈7月〉。院長に遠山椿吉が就任。
1893(明治26)年
京橋区瀧山町に移転。
移転と同時に、験温器(体温計)検定および尿の理化学的検定を開始。
講習科卒業生たちによって、東京顕微鏡院院友会(後に東京顕微鏡学会に改称)が発足。
遠山椿吉院長、東京慈恵医院医学校講師を嘱託され、黴菌学を教授〈~1900(明治33)年6月〉。
1894(明治27)年
種痘術講習科を新たに設置。培養土壤(培養基)の発売開始。
7月18日機関誌『顕微鏡』を発刊。
マルチェロ・マルピギー200年祭を挙行。
顕微鏡的幻燈映画を製造、発売。
1895(明治28)年
第4回内国勧業博覧会に出品し、褒証および賞牌を授与される。
飲料水の検査を開始。
コレラ講習会を開催。
1896(明治29)年
母乳検査を開始。
回帰熱講習会を開催。
エドワード・ジェンナー100年祭(於:上野公園)にあたり、種痘術講習科規則を額面として出品。ロシア皇帝戴冠式に際し行われたエドワード・ジェンナー100年祭に、種痘術講習科主旨、規則を巻軸にして出品。
事業拡大にともない、神田区小川町に移転。新たに短期講習科および短期研究科を開設。
1897(明治30)年
研究科講義を開始。
1898(明治31)年
第1回国家医学会講習科(国家医学会が開設)を本院にて開講(以後、順次開講)。
ウィダール氏反応検査を開始。
1899(明治32)年
第1回ペスト講習会を開講(以後、順次開催)。
1900(明治33)年
遠山椿吉院長、東京市技師に任ぜられる。
顕微鏡検定および拡大力検定を開始。
1901(明治34)年
創立10周年記念式を挙行。
1902(明治35)年
第1回監獄医学講習会(国家医学会が開設)を本院にて開講。
第1回東京市衛生事務講習会(東京市役所主宰)を本院にて開講(以後、順次開講)。
遠山椿吉院長、東京府より、地方衛生会委員を命ぜられる。
1903(明治36)年
遠山椿吉院長、初代東京市衛生試験所長に任ぜられる。
ペスト試験室を新設。遠山椿吉院長、医学博士の学位を授与される。
1905(明治38)年
顕微鏡講習科を増設。
遠山椿吉著「東京市改良水道ノ衛生學的觀察」(東京市役所衛生課)出版。
1907(明治40)年
保健部を設置。
広く世間の人びとに対し、健康診査(健康診断)と衛生上の協議(衛生相談)を開始。
遠山椿吉院長、東京市参事会より、ドイツ・ベルリン市開催万国衛生および民勢学会参列および欧州各都市衛生設備実況調査を命ぜられる。
遠山椿吉院長、内務省より、欧米都市における汚物掃除の実況調査を嘱託される。
1908(明治41)年
遠山椿吉院長が視察を終え、帰国。遠山椿吉院長、内閣より医術開業試験委員を命ぜられる〈1912(明治45)年4月、1916(大正5)年4月も同様〉。
遠山椿吉院長、来日したロベルト・コッホ博士を招待し、生花の会を開催。
1911(明治44)年
脚気の診療開始。『顕微鏡』第100号記念号を出版。
創立20周年記念会を開催。
1912(大正元)年
鏡友会発足〈1912(大正2)年1月より、事務を開始〉。
1915(大正4)年
脚気治療薬うりひんを製品化〈6月〉。
建替えによる新院舎完成。
1916(大正 5)年
『顕微鏡』を『東京顕微鏡学会雑誌』と改題。
遠山椿吉院長、依願により、東京市技師休職を命ぜられる。
創立25周年兼改築落成記念会を開催。
1921(大正10)年
遠山椿吉著『遠山博士脚氣病原因之研究』(東京顕微鏡院創立満30年記念出版会)出版。
1922(大正11)年
創立30周年記念会および記念出版贈呈式を挙行(於:大日本私立衛生会会堂)。
1923(大正12)年
9月1日関東大震災により、院舎およびその設備をすべて焼失。
9月6日麻布区富士見町に仮院舎を建設し、10月1日一般業務を開始。
1924(大正13)年
小川町の旧院舎跡地に分院完成。
1925(大正14)年
麹町区三番町に新院舎が完成し、復興新築落成記念会を開催。
病理組織検査を開始。X光線科(レントゲン科)新設。
図書室新設。
第1回レントゲン講習会開催(以後、順次開催)。
1926(大正15)年
遠山椿吉著「さちのために」出版。
1927(昭和2)年
遠山椿吉著『人生の意義と道徳の淵源』(富山房)出版、献納(天皇陛下に献上)。
3月8日財団法人寄付行為申請許可が下り、法人組織となる。
財団法人東京顕微鏡院が誕生。
診断法講習会を開始(以後、順次開催)。
レントゲン研究科開設。
1928(昭和3)年
遠山椿吉著「庭園と衛生」(造園叢書第10巻雄山閣)出版。
10月1日遠山椿吉院長遠逝(享年71)。