カンピロバクター食中毒物語
2.下痢症患者糞便からのカンピロバクターの検出

2023年11月7日

(一財)東京顕微鏡院 学術顧問 伊藤 武

1884年に先人の研究者であるドイツのEscherichらは下痢患者糞便の顕微鏡検査から螺旋状細菌を観察することに成功したが、様々な試みにもかかわらず培養できなかった。さらには下痢患者の血液培養液中にも同様な細菌を認めるも、寒天培地で目的の細菌を検出することができなかった。顕微鏡で観察された細菌が病原菌であることを確認するためには、培養により螺旋菌の分離が必須であるにも関わらず、培養できないことは先人の研究者にとって痛恨の極みであったと想像される。この問題を打破したのはベルギーのブリュッセルにあるFree University のButzler博士一派の研究である。

1.下痢患者糞便から初めてカンピロバクターの検出に成功したButzler博士らの報告

Butzler博士の共同研究者であるDekeyserらより、2名の下痢患者糞便から世界で初めてカンピロバクターを検出した論文が1972年に発表された1)。1名は22才の看護師で、1日に15回の下痢と血便、嘔気、40℃の発熱など胃腸炎症状で大学病院に入院した。他の1名は看護学校の学生であり、下痢、嘔吐、発熱で受診した。

検査を担当したDekeyserは国立研究所の獣医師であり、以前から家畜の流産の原因菌として注目されていたロウソク培養(微好気培養法)で検出されるVibrio fetus(現在のカンピロバクター属菌)について熟知していた。下痢患者2名についてコレラ菌、サルモネラ属菌や赤痢菌などの既知の病原菌が検出されないことから、微好気培養を導入し、さらに培養にあたり目的の細菌を検出するために2つの工夫を行った。1つ目は糞便中、目的の病原菌の他に常在細菌が多数存在することから、常在細菌を除去する目的でろ過法を応用した。通常の細菌はろ過できないが、Vibrio fetusは菌体が糸くず状に細いことから細菌ろ過膜を通過することに着眼し、糞便をろ過膜(口径0.65μ)でろ過した濾液から微好気培養を行った。2つ目は常在細菌の発育を抑制させる目的で、抗生剤を添加した血液寒天を考案した。Dekeyserらはこれらの分離培地を、微好気的条件で3日間の培養により2名の患者糞便からKing女史が指摘したRelated vibrio(現在のCampylibacter jejuni)の分離に初めて成功した。

その後Butzler博士らは、カンピロバクターが下痢症の病原菌であるという確固たる確認のために、下痢症と診断された子供800名について同様な分離培養法により検討を進めた。胃腸炎患者41名(5.1%)から見事にカンピロバクターを検出し、本菌が下痢症の重要な病原菌であることを確認した2)

2.英国のSkirrow博士による下痢患者からのカンピロバクター検出の追試実験

Butzler博士一派の発見したカンピロバクターが全世界で注目され、新興感染症の病原体として認識されるには、もう一人の研究者がいたことを忘れてはならない。英国のSkirrow博士(Public Health Laboratory)である。同博士はButzler博士の研究室を訪問した際に新種の病原菌であるカンピロバクターの話を聞き、早速英国に戻って下痢患者803名を検査対象に、Butzler博士の報告に従いろ過法を行った。さらに、常在細菌を抑制する抗生物質を添加した新たな選択分離培地(Skirrowの血液寒天培地)を考案し微好気培養を行い、当時下痢症の病原菌として最も多いサルモネラ属菌よりも高率に、57名(7.1%)からCampylobacer jejuniの分離に成功した。このレポートが1977年に専門誌に掲載され、世界各国の研究者が新たな下痢症の病原菌であるカンピロバクター属菌に注目した3)

3.国内で食中毒患者からの最初のカンピロバクターの検出

鶏糞便からのカンピロバクターの検出:

著者らは原因不明食中毒の原因追及に情熱を燃やし、これまでにウエルシュ菌や嘔吐型セレウス菌の食中毒原性を明らかにしてきた。1978年の春にButzlerらの論文に着目し、カンピロバクターの検索に取り組んだ。食中毒患者からの検査が目的ではあったが、カンピロバクターの菌株を入手していなかったことから、関連する論文を検索したところ、カンピロバクターは鶏が高率に保有することが既に確認されていたので、鶏の糞便からカンピロバクターの検査を開始した。

新鮮な鶏糞便を採取し、糞便を生理食塩水で数々の濃度に調整した乳剤を遠心機で軽く遠心し、その上清液をろ過膜(0.65μ)でろ過して、濾液を血液寒天培地に塗抹した。初期はロウソク培養で37℃、3日間培養したが、その後微好気培養の混合ガス(酸素5%、炭酸ガス10%、窒素ガス85%)を購入し、本ガスを用いて微好気培養を行った。いずれも24時間培養では集落が認められなかったが、3日間の培養により、やや褐色をおびた特徴ある集落が観察された。この集落がカンピロバクターであることを証明するために、グラム染色や各種の生化学的性状検査を実施した。しかし、単一の純培養の集落ではあるが、螺旋状のカンピロバクターとは異なる球菌が混在していた。この球状菌も螺旋菌と同様に2本の鞭毛が認められた2。何度繰り返しても同様の結果で、カンピロバクターとはいえない成績であり、様々な手段を試みたが、解決できないために悶々とし、2ヶ月ほど経過してしまった。諦めていたときに関連論文より、カンピロバクターは培養が3日程度になると球状化すると記載された一文を見つけた。この記事により著者らが観察していた菌はまぎれもなくカンピロバクターであると確信した。鶏の糞便で実験を何度も繰り返し、カンピロバクター検出の方法や位相差顕微鏡によるカンピロバクターの独特な螺旋運動あるいは同定に必要な生化学的性状などを習得した。

図1.カンピロバクターの球状化 顕微鏡写真(鞭毛染色)

図1.カンピロバクターの球状化 顕微鏡写真(鞭毛染色)

食中毒患者からのカンピロバクターの検出:

鶏糞便からのカンピロバクター検出に自信が得られたため、食中毒患者の糞便検査にカンピロバクターの検査を導入した。初期には検出に成功しなかったが、はからずも半年後の1979年1月に東京都東久留米市内の保育園で園児74名中35名と職員1名が下痢や発熱などの症状に見舞われ、食中毒と診断された。患者の発病は1月14日から20日で、16日と17日にピークが認められ、一峰性の発生状況であり、共通の給食が原因と考えられたが、暴露日時や原因食品を明らかにできなかった。本集団事例の患者や同時喫食者糞便からは既知の病原菌は検出されなかったが、糞便のろ過法による血液寒天培地の微好気培養により患者35名中14名からカンピロバクターが検出された(表1)。ようやく今までの苦労が報われ、国内でもカンピロバクターによる食中毒(下痢症)があることが初めて判明した。

表1.1979年に国内で最初に発見されたカンピロバクター食中毒

表1.1979年に国内で最初に発見されたカンピロバクター食中毒

分離菌株がカンピロバクターであることを確実にするためには、カンピロバクターの標準菌株がどうしても必要となる。Butzler博士に依頼したところ、快く菌株を分与していただいた。本菌株と分離株とを比較した結果、グラム染色による形態、運動性、各種の生化学的性状が全く同一であることが確認された(図2)。 さらに著者らは分離菌株の易熱性抗原を型別する方法を開発し、C.jejuni を初期では26型(TCK))に分類した。この型別血清により分離株はいずれもTCK1型に型別され、同一菌による食中毒と考えた。

図2.糞便から分離されたカンピロバクターの電子顕微鏡写真

図2.糞便から分離されたカンピロバクターの電子顕微鏡写真

これまでの諸外国の報告では糞便から螺旋状菌を観察し、血液培養からも同様の螺旋菌が認められていることから、患者の血液に原因となった螺旋菌が侵入し、菌血症を起こしていることが想定された。本菌に対する抗体の上昇があると考え、担当の保健所の食品衛生監視員の先生にお願いし患者からの血液採取を依頼した。4名の急性期と回復期の患者から採取でき、分離菌株に対する抗体価を測定した結果、急性期の血中抗体価は20-40倍であったが、同一人の回復期の抗体価は80-320倍となり、抗体の上昇が確認できた。また、発症1ヶ月後においても80倍以上の抗体価の上昇が示された。これらのデータから、本集団発生例はCampylobacter jejuni 血清型TCK1による食中毒であると結論した。国内におけるカンピロバクターによる最初の事例であり、早速に英文誌に投稿した4)。 その後も食中毒の検査にカンピロバクター検査を導入し、1981年までの3年間に飲食店、旅館・ホテル、寮、福祉施設、修学旅行(宿泊施設)、家庭など14事例のカンピロバクター食中毒を明らかにすることができた(表25)

表2.1979年3月から1981年間に東京都で発生したカンピロバクター食中毒

表2.1979年3月から1981年間に東京都で発生したカンピロバクター食中毒

これらの食中毒の疫学調査は保健所の食品衛生監視員の先生方により詳細な検討が行われた。カンピロバクター食中毒の発症期間、潜伏時間、患者の症状などが解析され、カンピロバクター食中毒の全容が明らかにされた。なお、14事例についての原因食品はほとんどが不明ではあったが、事例9の家庭の事例では誕生日パーティーで喫食した焼肉料理のうち、家庭に保存された生鶏肉から患者と同じ血清型のC.jejuniが検出され、鶏肉が原因食品と考えられた。事例2では飲食店で喫食した6つの異なるグループに食中毒が発生し、各グループに共通する「アサリのぬた」が原因食品と推定された。

おわりに

著者らはカンピロバクター検査法を確立し、公開した。さらにはカンピロバクター検査用の分離培地や増菌培地、簡易な微好気培養装置が開発され、それらを使用した検査法が浸透していった。やがて東京都だけでなく青森県、栃木県、神奈川県、静岡県、岩手県など各地域でもカンピロバクターによる食中毒が報告され、元厚生省は1983年にカンピロバクター属菌の他にウエルシュ菌、セレウス菌、エルシニア属菌などを食中毒起病の病原菌であることを認知し、食中毒統計にこれらの病原菌による発生動向が掲載されるようになった。

なお、Butzler博士とSkirrow博士はカンピロバクターの研究が国際的に進められてきたことから、カンピロバクターによる国際的研究会(International Workshop on Campylobacter Infection)を発足させ、1981年に第1回の研究会が英国のReading大学で開催された。世界各国から約150名の参加があり、今後のカンピロバクター研究の進展に大きな希望が投げかけられた。

参考文献

1) Dekeyser P. et al:J.Infect.Dis,125,390,1972
2) Butzler JP,et al:J pediat,12,493,1973
3) Skirrow MB:Br.Med J,2,9,1977
4) Itoh T.et al:Microbiol Immuninol,24,371,1980
5) 伊藤 武ら:感染症誌、57,576,1983

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